安楽死制度を考える会 基本理念

日本では、現在、安楽死制度は認められておりません。また「死」については、繊細な問題であるためか、議論すること自体、一般的にタブー視されておりました。皆さん安楽死制度には反対でしょうか。安楽死制度の賛否の世論調査では安楽死だけでも国民の7割以上の方が、尊厳死も含めると8割以上の方々が「賛成」しているにも関わらず、日本社会ではタブー視されており、政治家は一切口にしない。よって国会でも議論すらされない状況です。最近は「終活」という言葉が聞かれるようになり、誰にでも必ず訪れる最終局面としての「死」について、世間でも少しずつ口に出せるようになりました。

国会でも誰か一人でも勇気を持って言い出せば賛同する議員は相当数になると思います。安楽死制度を考える会では是非国会で勇気を持って安楽死制度の議論の提案がしたいと思っております。

私は医療関係者ではありません。そのため、どのような場合でも、人命救助を第一義として患者と向き合う医療者の方とは違い、人間の死について国民の多くが感じている率直な意見を述べることができます。そして、中立的な立場からしっかりと問題提起ができると思っております。生を受けたからには、必ず誰もが「死」という局面を迎えます。そうであれば、尊厳のある生き方をし、尊厳のある死を迎えられる安楽死制度という、人生の一つの選択肢があっても良いのではないでしょうか。

私どもは10年前から、海外では年々認められておりますこの安楽死制度の必要性を訴えてまいりました。しかし、10年が経過致しましたが、未だ法整備もできていない状況にあります。そのため日本では安楽死は認められておらず、スイスなど自国に住んでいない外国人の安楽死を受け入れている国へ渡航し、安楽死を受けている現象が起きています。スイスの団体によると、年々日本人の団体への登録者数が増え、実際利用している人数も増加しているようです。この現状を鑑み、今回、「安楽死制度を考える会」に改名し、皆様方と一緒に日本でも真剣に安楽死制度の必要性を考え、議論を今一歩進めてまいりたいと思っております。

人間には生まれてきた時から、多様な価値観や考え方などがあります。一日でも長生きしたいと思われる方々も沢山いらっしゃると思いますし、またその一方で、人生の最後を自分自身で決め、その最後に向かってやり残すことも無く、尊厳のある生き方と尊厳のある死を迎えたいと考える方々もいらっしゃるのではないでしょうか。

安楽死制度は、自分自身の決断で実行するか否かを決定するものであり、決して、強制されて実行されるものではありません。生き続けるという権利があるように、死を迎える時期を自分自身が決められるという権利があっても良いのではないかと考えます。安楽死制度は、自分自身の終末をどのように迎え、どのような時に、どのように処していくのが良いのかを考え、自分自身で決めておくことができる権利を認めようとする制度です。例えば、将来、寝たきりとなり、喜怒哀楽も感じなくなってしまった時に実行できるようにと、事前に自分自身で自分自身の終末を決めておく権利を認めて欲しいのです。勿論、それを決めるのは、家族でも他人でもなく自分自身であって、強制されることはあり得ません。そこで、現在、安楽死制度を使いたくない方々でも安楽死制度自体の意義にはご理解頂きたいのです。人は生きていくにあたり、自分の居場所や拠り所が必要だと言われております。それは物理的な場所だけでなく、心の在処も同様だということです。人生を送るにおいて安心感や安らぎはとても大切なことであり、誰しもが欲することではないでしょうか。生きる自由もあり、いつ死を迎えるかを決める自由があることこそ、本当の意味での安心感や安らぎを伴った生き方に繋がるのではないでしょうか。そして、安楽死こそが、安心感と安らぎを与えることができる制度であると考えております。

多くの国民は自分の将来や老後の生活に不安を抱いています。将来の不安に備え一般的には貯金をしますが、将来を考えて貯金をすることは、果たして幸せなのでしょうか。また、今の生活が厳しくて貯金をしにくい方も沢山いらっしゃると思いますが、貯金ができない場合はどうすれば良いのでしょうか。仮に、貯金ができたとしても貯金をたくさん残して突然亡くなったらどうでしょうか。家族やお孫さん達に財産を残したいという方もいらっしゃるでしょうが、自分で稼いだお金は全て使い切りたいと考える方もいらっしゃるでしょうし、一定の財産は家族に残し、後は自分の好きなことに使って使い切りたいと思っている方もいらっしゃると思います。しかし、死を迎える時期が判らない場合、自分の人生の最後の予定を立てて思いっ切りお金を使い切ることなどは出来ません。多くの国民は先の見えぬ将来の不安のために身を削って節約し、将来に備えて貯金をしているのが現状です。仮に、安楽死制度があれば、自分の人生計画に併せてお金を使うという選択も可能です。自分自身の人生の最後の区切りを決められることこそが、思い切ってやりたいことをやれる充実した人生になるのではないでしょうか。

現在、安楽死は、主に医者が薬物を投与して患者を死に至らせる積極的安楽死(医師から与えられた致死薬で患者自らが命を絶つ自殺幇助を含む)と、延命治療措置の手控えや中止を指す消極的安楽死(日本で言われる尊厳死)に分けられます。積極的安楽死については、オランダ、ベルギー、スイス、ルクセンブルク、カナダ、アメリカの幾つかの州、オーストラリアの一部の州などが認められ、アジアでは韓国、台湾でも消極的安楽死が認められています。少しずつ世界では認める国が増えてきているのが現状であります。安楽死の適応としましては、主に病気などによる終末期や他に苦痛の緩和の見込みがないなどという医学的な病症や疾患を伴うことが条件になっております。しかし、安楽死先進国のオランダやベルギーにおきましては、「生きるのに疲れた」などと訴える精神的苦痛ある高齢者や精神疾患にも適用が広げられております。このケースにつきましては、安楽死賛成国内でも物議を醸しているようですが、私は賛成です。

一般的に人は、子供の頃からどのような状況下においても頑張ることが美徳とされてきました。何がなんでもどんなに人生が苦しくても頑張らなければならない。健康状態が悪くても頑張って最後の最後まで生き続けなければいけない。そのようなプレッシャーこそが人々の悩みを深め、不安感を強める大きな要因になってきたのではないでしょうか。人間の悩みや苦しみというのは肉体的なことだけには限らず多岐にわたり、健康上の問題がある時に限らず安楽死を認めることは、「人間の尊厳」を重視する上で大変重要なことであると思います。

病気になって治る見込みもなく、避けようのない痛みや苦しみに苛まれる時には、死を迎えられるというのは安楽死制度の基本として大事なことです。私の提唱する安楽死制度とは、人生の終末期や他に苦痛の緩和の見込みがないという医学的な病症や疾患を伴う場合は勿論のこと、そのような場合でなくとも安楽死を希望する方には、安楽死を選択する権利を認めるものです。しかし、私どもは、短絡的に安楽死を推奨するわけではありませんし、安易に死を迎えれば全てが終わり解決するという考えではありません。生きていくことを前提とした、死と向き合うためのカウンセリングなどは必要不可欠だと思っております。また弱い立場の方がその弱さゆえに安楽死を選択することがないよう保護をし、不適切な適応拡大が起こらないよう、安楽死実施国の先例を参考に、今後、有識者の方を交えながら充分な検討を要すると考えております。

そして、強制はできませんが、できれば安楽死を選択する方には臓器提供のお願いもできたらとも思っております。臓器移植でしか治療できず、臓器提供を待たれている方が、日本だけでも1万5000人程おります。臓器提供者が増加すれば、正に生きたいと思われている方の思いも尊重でき、かつ、死を迎えたいと思われている方の意思も尊重出来ることとなります。このように、生から生へのバトンタッチも我々のテーマの一つであります。

死にたいと思われている方に、「思いとどまって頑張れ」と言葉を掛けることは簡単です。しかし、ただ頑張れと言うだけでは何の励ましにもなりません。死にたいと考えている方がもう少し頑張ってみようと思うためには、どんな励ましの言葉よりも安楽死という最後の選択肢があるということが、もう少し前向きに頑張ってみようという気持ちに繋がるのではないでしょうか。

政府は1億総活躍社会の実現などと提言しておりますが、1億総活躍するためには将来の安心感が必要です。頑張った後に、成功した方も不成功に終わらざるを得なかった方にも、最後の選択肢としての安楽死制度があれば安心です。安楽死という人生の選択権があってこそやりたいことが自由にやれ、自分の最後も自分で決められるという、これこそが心の安心感に繋がり、充実した一生を送れることになると思います。

政府は一見聞こえの良い政策などを色々と掲げ国民の支持を得ようとしますが、どんな政策も実現することによって得をする方もいる一方で誰かが損をすることになります。国民全員が納得をする政策というものはそもそもないと思います。しかし、安楽死を認める政策は違います。仮に日本で安楽死制度が認められたらどうでしょうか。安楽死制度は全国民に安楽死を強要するものではなく、国民は一つの自分の将来を選択する権利が増えたことになります。誰しも自分が幾つまで生きられるのかは判りませんし、どのような病気になってどのような最後を迎えるのかということも判りません。病気になって痛くて苦しくなった時は勿論、病気でなくても死を迎えたいと思った時には、安楽死制度が使えるという人生の選択権が増えたことこそが、国民の心にお守りのような安心感をもたらすと考えます。更に、安楽死制度には多くの予算を必要としないため、多額の予算を掛けずに国民に安心感を与えられるというメリットもあります。

価値観の多様化する世の中で、国民が抱える将来の不安を如何に軽減させられるのかということを真剣に考えることは、本来、最も重要であると考えます。だからこそ、日本でも安楽死制度を確立して選択肢を増やし、国民に安心感を与ることが必要だと思います。繰り返しますが、安楽死制度は国民に強要する訳ではなく、使いたい人だけ使える制度です。消費税の増税の様に、国民に一律に課される政策ではありません。使いたくない人は無視して使わなければ良いのです。

人生100年時代と言われる中で、国民は、今後ますます将来の不安と戦いながら生きることを余儀無くされるでしょう。もうこれまで十分生きてきたのでこれ以上生きていたくないと思った時や苦しい病に侵された時にも、自分の意思で自分の最後を決められるということは安心感に繋がり、延いては、人生やりたいことをやって生きていけるのです。ただ長生きするだけの人生でなく、自分で自分の人生計画を立てて充実した一生を送るためにも、安楽死制度が必要となってきます。日本の国会では、安楽死制度については一部で議論はされているものの法律では明示的に容認されておりません。是非、国民の安心感のため安楽死制度の確立に向けて真剣に国会で論議をしたいと考えております。安楽死制度を考える会へのご理解とご協力のほど宜しくお願い申し上げます。

安楽死制度を考える会
代表 佐野秀光
安楽死制度を考える会 本部
〒144-0052 東京都大田区蒲田4-22-2 情報通信ネットワークビル
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