「人生100歳時代」ただ長生きするより安楽死の方が幸せである

●産経デジタル「IRONNA」へ寄稿(2018年1月8日)
佐野秀光

日本では現在安楽死制度が法律で明示的に容認されておりません。私は全国民への心の安心感を与える為にも安楽死制度が必要だと思います。私は現在政治団体「支持政党なし」の代表として国政選挙を経験している傍ら、政治団体「安楽死党」の代表も務めており過去に第46回衆議院選挙では安楽死党として第22回参議院選挙及び第45回衆議院選挙では新党本質と言う政治団体名で「日本でも安楽死制度を」と訴えて立候補しており日本で安楽死制度を訴えて国政選挙を戦ったことがある唯一の政治団体の代表です。

そもそも人間は生まれてきた時から、人それぞれ多様な考え方があり長生きしたいと思われる方もおられる一方で、逆に死にたいと思われている方がいるのも自然の事です。一時期自殺者も年間3万人以上おりましたが現在は2万1000人近くに減少はしておりますが死にたいと思う方が沢山いる事は事実です。長く生きたいと思われる方の気持ちを尊重するのは当然の事ですが、死にたいと思っている方の気持ちを尊重する事も本来の「人間の尊厳」を重視する事として大事な事ではないでしょうか。むしろ死にたいと思っている方に安楽死を認めない事の方が「人間の尊厳」を損なう事になるのはないでしょうか。

現在でも海外では安楽死制度を認めている国もございますが病気などによる終末期や他に苦痛の緩和の見込みがないなどと言う医学的な病症や疾患を伴う事が条件になっております。最近では安楽死先進国のオランダでは健康上の問題がなくても「生きるのに疲れた」などと訴える高齢者にも安楽死の適用を広げると言う政府の提案が波紋を呼んでいる様でありますが私は賛成です。

自分が将来病気になって治る見込みもなく痛くて苦しい時には楽に死を選べるというのは安楽死制度の基本として大事な事ですが、人間の悩み苦しみと言うのは肉体的な事だけには限らず多岐に渡り、だからこそ健康上の問題がある時に限らず健康上の問題がなくても安楽死を認めることは「人間の尊厳」を重視する上で大変重要な事であると思います。

私の提唱する安楽死制度と言うのは人生の終末期や他に苦痛の緩和の見込みがないないと言う医学的な病症や疾患を伴う場合は勿論のこと、65歳以上の高齢者にも安楽死を認めたいという思いがあります。更には健康上の問題がなくても65歳以上の高齢者でなくとも安楽死を希望する場合には臓器提供を条件として安楽死を認めたいと言う思いもございます。

現在は日本では自殺者が2万人程度いる中で、どうしても生きていきたいと思われており体の疾患を臓器移植でしか治癒出来ない患者さんで臓器提供を待たれている方も1万5000人程おります。臓器提供を条件に安楽死を認めることは正に生きたいと思われている方の思いも尊重でき、且つ死にたいと思われている方の意思も尊重出来る事となります。死にたいと思われている方に思いとどまって頑張れと言葉を掛ける事は簡単ですが、ただ頑張れと言うだけでは何の励ましにもなりません。死にたいと考えている方がもう少し頑張ってみようと思う為には、どんな励ましの言葉よりも最後には安楽死と言う選択肢もあると言う事こそが、もう少し頑張ってみようと言う気持ちに繋がるのではないでしょうか。

政府は1億総活躍社会の実現などと提言しておりますが1億総活躍する為には正に安楽死制度が必要です。安楽死と言う人生の選択肢があってこそ、やりたい事がやれ自分の最後も自分で決められると言う、これこそが心の安心感に繋がり充実した一生を送れる事になるのではないでしょうか。

政府は一見耳当たりの良い政策などを色々と掲げ国民の支持を得ようとしますが、どんな政策も実現する事によって得をする方もいる一方で必ず誰かが損をすることになります。国民全員が納得をする政策というものはそもそもないとございません。どんな法案も可決されれば得をする方と損をする方が出るのは当然な事です。しかし安楽死を認める法案は違います。仮に日本で安楽死制度の法案が可決したらどうでしょうか。安楽死制度を認める法案は全国民に一律に安楽死を強要するものではなく国民は一つの自分の将来の選択肢が増えたことになります。いつか病気になって痛くて苦しくなった時は勿論、病気でなくても死にたいと思った時には安楽死と言う制度も使えると言う人生の選択肢が増えた事こそが心の安心感に繋がります。世の中誰しも自分が幾つまで生きられるのかは判りませんし、どの様な病気になってどの様な最後を迎えるのかと言う事も判りません。だからこそ人生の一つの選択肢として安楽死制度と言うのがあると言う事は全国民に気持ちの安心感が生まれるのではないでしょか。更に安楽死を認める法案には多くの予算を必要としない為、予算を掛けずに国民に安心感を与えられると言うメリットもございます。

多くの国民は自分の老後の事を考え一般的には貯金をしますが、貯金を残して突然死んだらどうでしょうか。子供や子孫に財を残したいと言う人もいるでしょうが人生で稼いだお金は全て使い切りたいと考える方もいるでしょうし、ある一定の財産は家族に残し後は自分の好きな事に使って使い切りたいと思っている方もいるのではないでしょうか。しかし安楽死制度がない中では自分の人生の最後の予定を立ててお金を使い切る事などは出来ません。多くの国民は先の見えぬ将来の不安の為に身を削って節約し将来に備えて貯金をしているのが現状です。仮に安楽死制度があればお金を自分の人生計画に併せて使い切る言う選択肢も可能です。自分の人生の区切りの最後を決められる事こそが思い切って自分のやりたい事がやれる人生になるのではないでしょうか。

政府は、この価値観の多様化する世の中で国民が抱える将来の不安を如何に軽減させられるのかと言う事を真剣に考える事は本来最も重要な事ではないでしょうか。だからこそ日本でも安楽死制度を確立して人生の一つの選択肢を広げ国民に気持ちの安心感を与る事が必要だと思います。繰り返しますが安楽死制度は全国民に強要する訳ではなく使いたい人だけ使えば良い制度です。消費税の増税の様に全国民に一律に課される政策ではありません。使いたくない人は無視して使わなければ良いのです。

一般的には子供の頃から人生は頑張る事が美徳とされてきました。何がなんでもどんなに人生が苦しくても頑張らなければならない。健康状態が悪くても頑張って最後の最後まで生き続けなければいけない。その様なプレッシャーこそが人々が悩み不安に陥る大きな要因になってきたのではないでしょうか。

現在安楽死制度は海外ではオランダ、ベルギー、スイス、ルクセンブルク、アメリカの幾つかの州や最近ではオーストラリアの一部の州でも法律で認められ始めており少しずつ世界では認める国が増えてきているものの未だ少なく、当然日本では認められてはいないが本来全世界で安楽死を認める事こそが人間の個性と自由を認める事となり、且つ誰しもが抱える将来の不安を払拭出来る唯一の手段であると言っても過言ではありません。

人生100年時代と言われる中で今後益々国民は将来の不安との戦いの時代となります。もうこれ以上生きていたくないと思った時や苦しい病に侵された時にも自分の意思で自分の最後を決められるという事は安心感に繋がり、ひいては人生やりたいことをやって生きていける。ただ長生きするだけの人生でなく自分で自分の人生計画を立てて充実した一生を送る為にも今後益々安楽死制度が必要となってきます。日本の国会では安楽死制度については一部で議論はされているものの法律では明示的に容認されておりません。是非国民の安心感の為に安楽死制度の確立に向けて真剣に国会で論議され法律で明示的に容認されることを期待し出来れば、その一助となりたいとも思っております。

2018年1月18日 産経デジタル「IRONNA」へ寄稿
佐野秀光
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